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2016年10月22日

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越前大野城主一覧

越前大野城主一覧(えちぜんおおのじょうしゅ)

金森 長近(かなもりながちか)

 大永4年(1524年)から慶長13年8月12日(1608年9月20日)
 飛騨守(ひだのかみ)兵部大輔(ひょうぶたいふ)
 天正3年(1575年)、越前大野郡に所領(しょりょう)を与えられる。(のち)剃髪(ていはつ)して兵部卿法印(ひょうぶきょうほういん)と称し、豊臣秀吉(ひでよし)に従い、飛騨高山(ひだたかやま)3万8千石を領治(りょうじ)。その()の幾多の軍功により、天正13年(1585年)、秀吉(ひでよし)から飛騨一国(ひだいっこく)を与えられた。慶長(けいちょう)5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは東軍に与し、美濃国郡上八幡城攻(みのこくぐじょうはちまんじょうぜめ)などの功を賞されて二万石を加増、初代高山藩主(しょだいたかやまはんしゅ)となる。

長谷川秀一(はせがわひでかず)

 生年不明、文禄3年(1594年2月)没
 従五位下(じゅごいのげ)侍従(じじゅう)
 天正12年(1584年)、越前東郷城主(えちぜんとうごうじょうしゅ)大野城入城年(おおのじょうにゅうじょうねんふめい)不明、金森氏移封後(いふうご)大野を治めたものか)。天正17年(1589年)、近江肥田城主(おうみひだじょうしゅ)文禄(ぶんろく)3年(1594年)、朝鮮出兵で病没(びょうぼつ)

青木 一矩(あおきかずのり)

 天文(てんぶん)10年(1541年)から慶長5年10月6日(1600年11月11日)
 従五位上(じゅごいのじょう)侍従(じじゅう)、紀伊守
 豊臣氏の一族といわれる。豊臣秀吉(ひでよし)に早くから仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに参加する。天正15年(1587年)の九州征伐にも参加し、その功績により播磨立石城主となった。のちに越前大野8万石、文禄(ぶんろく)3年(1594年)に越前府中10万石と栄進を重ね、最終的には越前北之庄21万石を領した。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍に与し、降伏直後に病死(びょうし)

織田 秀雄(おだひでかつ)

 天正11年(1583年)から慶長(けいちょう)15年8月8日(1610年9月24日)
 従三位(じゅさんみ)、参議
 文禄元年(ぶんろくがんねん)(1592年)、豊臣秀吉(ひでよし)から越前国大野郡において5万石を与えられる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦に際し、秀雄(ひでかつ)は父信雄(のぶかつ)の意向に従い西軍に属するが、敗戦。改易(かいえき)された。

土屋 正明(つちやまさあき)(福井藩直轄領)

 生年不明、慶長12年(1607)没
 北ノ庄藩(福井藩)藩主結城秀康の家臣(かしん)城代(じょうだい)として大野城に在城(ざいじょう)。慶長6年(1601年)に入城(にゅうじょう)か? 慶長12年(1607年)、秀康に殉死(じゅんし)

土屋 忠次(つちやただつぐ)(福井藩直轄領)

 父正明の没後(ぼつご)、大野城主を継ぐが、父の殉死が幕府の禁に触れて改易(かいえき)。慶長14年(1609年)追放(ついほう)か?

小栗 正勝(おぐりまさかつ)(福井藩直轄領)

 慶長14年(1609年)、入城(にゅうじょう)

松平 直政(まつだいらなおまさ)

 慶長6年8月5日(1601年9月1日)から(寛文(かんぶん)6年2月3日(1666年3月8日))
 従五位下(じゅごいのげ)出羽守(でわのかみ)従四位下(じゅしいのげ)侍従兼任(じじゅうけんにん)従四位上(じゅしいのじょう)左近衛権少将(さこのえごんしょうしょう)
 結城秀康の三男(さんなん)元和(げんな)2年(1616年)、上総姉ヶ崎(かずさあねがさき)1万石を与えられる。寛永元年(1624年)、大野5万石。寛永10年(1633年)、信濃松本7万石。寛永15年(1638年)、出雲松江(いずもまつえ)18万6,000石。

(直政と直基(なおもと)の間2年間、丸岡藩主本多成重(まるおかはんしゅほんだなるしげ)預かり?)

松平 直基(まつだいらなおもと)

 慶長9年3月25日(1604年4月24日)から慶安元年(けいあんがんねん)8月15日(1648年10月1日)
 従四位下(じゅしいのげ)侍従(じじゅう)大和守(やまとのかみ)
 結城秀康の四男(よんなん)。寛永元年(1624年)、勝山3万石。寛永12年(1635年)、大野5万石。正保元年(しょうほうがんねん)(1644年)、出羽山形(でわやまがた)15万石。慶安元年(けいあんがんねん)(1648年)、姫路15万石に国替(くにが)えを命じられるが、(おもむ)く途上で死去。

松平 直良(まつだいらなおよし)

 慶長9年11月24日(1605年1月13日)から延宝(えんぽう)6年6月26日(1678年8月13日)
 従四位下(じゅしいのげ)侍従(じじゅう)土佐守(とさのかみ)但馬守(たじまのかみ)
 結城秀康の六男。寛永元年(1624年)、木本(このもと)2万5千石。寛永12年(1635年)、勝山3万5千石。正保元年(しょうほうがんねん)(1644年)、大野5万石。

松平 直明(まつだいらなおあきら)

 明暦(めいれき)2年1月5日(1656年1月31日) から 享保(きょうほ)6年4月21日(1721年5月16日))
 従四位下(じゅしいのげ)若狭守(わかさのかみ)。(藩主引退後(はんしゅいんたいご)市正(いちのかみ)
 松平直良(なおよし)三男(さんなん)延宝(えんぽう)6年(1678年)、父直良(ちちなおよし)の跡を継ぐ。天和(てんな)2年(1682年)、明石(あかし)6万石。

土井 利房(どいとしふさ)

 寛永8年(1631年)から天和(てんな)3年(うるう)5月25日(1683年7月19日)
 正保(しょうほう)3年(1646年)、従五位下能登守(じゅごいのげのとのかみ)延宝(えんぽう)7年(1679年)、従四位下(じゅしいのげ)延宝(えんぽう)8年(1680年)、侍従(じじゅう)
 大老(たいろう) 土井利勝(どいとしかつ)四男(よんなん)延宝(えんぽう)7年(1679年)から天和元年(てんながんねん)(1681年)まで老中職(ろうじゅうしょく)天和(てんな)2年(1682年)、大野4万石。

土井 利知(どいとしとも)利治改(としはるあらた)め)

 延宝(えんぽう)2年4月18日(1674年5月23日)から延享(えんきょう)2年2月8日(1745年3月10日)
 従五位下(じゅごいのげ)甲斐守(かいのかみ)
 天和(てんな)3年(1683年)、10歳で家督(かとく)を継ぐ。元禄(げんろく)8年(1695年)、幕命(ばくめい)により丸岡城(まるおかじょう)受け取り。享保(きょうほ)7年(1722年)から寛保元年(かんぽうがんねん)(1741年)まで奏者番(そうじゃばん)寛保(かんぽう)3年(1743年)、隠居(いんきょ)

土井 利寛(どいとしひろ)

 享保(きょうほ)3年9月24日(1718年10月17日)から延享(えんきょう)3年8月16日(1746年9月30日)
 従五位下(じゅごいのげ)伊賀守(いがのかみ)
 寛保(かんぽ)3年(1743年)、家督を継ぐ。「江戸法令」・「大野家中法令条々(おおのかちゅうほうれいじょうじょう)」、伝馬規定(でんまきてい)など、藩の法制整備を行なうが、在位(ざいい)3年で死去。

土井 利貞(どいとしさだ)

 寛保元年(かんぽがんねん)10月7日(1741年11月14日)から文化4年11月5日(1807年12月3日)
 従五位下(じゅごいのげ)能登守(のとのかみ)
 延享(えんきょう)3年(1746年)、6歳で家督を継ぐ。洪水、凶作、大火が相次ぎ、藩の財政が困窮する。天明(てんめい)3年(1783年)に勝手向御用掛(かってむきごようがかり)を創設するなど、財政改革を行うが失敗。文化(ぶんか)2年(1807年)、隠居。

土井 利義(どいとしのり)

 安永(あんえい)6年6月27日(1777年7月31日)から文政元年(ぶんせいがんねん)6月4日(1818年7月6日)
 従五位下(じゅごいのげ)右京亮(うきょうのすけ)中務少輔(ちゅうむしょうゆう)甲斐守(かいのかみ)造酒正(みきのじょう)
 近江彦根藩主(おうみひこねはんしゅ)井伊直幸(いいなおひで)十男(じゅうなん)寛政(かんせい)3年(1791年)5月、土井利貞(どいとしさだ)四女(よんじょ)(まつ)と婚約し、利貞の婿養子(むこようし)となる。文化2年(1805年)11月8日、家督を継ぐ。文化7年(1810年)3月10日、隠居。文武両道(ぶんぶりょうどう)名君(めいくん)とされる。

土井 利器(どいとしかた)

 天明(てんめい)3年6月4日(1783年7月3日)から文政元年(ぶんせいがんねん)5月17日(1818年6月20日)
 従五位下(じゅごいのげ)甲斐守(かいのかみ)
 下総関宿藩主(しもうさせきやどはんしゅ)久世広誉(くぜひろやす)十一男(じゅういちなん)。文化6年(1809年)8月、越前大野藩主・土井利義(どいとしのり)の養子となる。文化7年(1810年)3月10日、利義(としのり)の隠居により家督(かとく)を継ぐ。財政難に見舞われる。文政元年(1818年)5月17日、死去。

土井 利忠(どいとしただ)

 文化8年4月3日(1811年5月24日)から明治元年(めいじがんねん)12月3日(1869年1月15日)
 従五位下(じゅごいのげ)能登守(のとのかみ)没後従三位(ぼつごじゅさんみ)
 土井利義(どいとしのり)の長男。文政元年(1818年)、8歳で家督を継ぐ。天保13年(1842年)4月27日、利忠は自筆をもって「更始の令」を発布。藩政改革を行い、効果を挙げる。文久2年(1862年)、隠居。明治15年(1882年)、旧藩士たちにより、大野城ふもとに「柳廼社(やなぎのやしろ)」が建立され、祭神となる。

土井 利恒(どいとしつね)

 嘉永元年(かえいがんねん)7月19日(1848年8月17日)から明治26年(1893年)3月29日
 従五位上(じゅごいのじょう)能登守(のとのかみ)(明治に至って正四位(しょうよんい)子爵(ししゃく)
 文久(ぶんきゅう)2年(1862年)、家督を継ぐ。元治元年(げんじがんねん)(1864年)、天狗党(てんぐとう)が大野藩領を通過。明治元年(1868年)4月12日、新政府より箱館裁判所副総督(はこだてさいばんしょふくそうとく)に任命される。

 

 

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