大野市の概要
沿革
古くから、越前・美濃両国を結ぶ交通の要所であった大野は、南北朝(1332年~)の初めごろ城下町として発展しました。天正元(1573)年朝倉氏の滅亡後、一時は一向一揆の支配下となりましたが、一揆はまもなく織田信長に平定され、天正3(1575)年織田の部将金森長近が、戦功により大野の大部分を統治するようになりました。
長近はまず亀山に城を構築するとともに、京都に似た碁盤目状(短冊型)の城下町の建設に着手。これが現市街地の起源となり、以後約430年間、大野は奥越前の中心地として栄えてきました。金森長近のあと、長谷川・青木・織田・松平氏を経て、天和2(1682)年、土井利房が大野に封ぜられましたが、勝山・郡上・鯖江・福井の各藩領や、幕府領などに分割され、4万石大名として明治維新まで約180年間続きました。
明治4年の廃藩後、明治22(1889)年、町村制が実施され、大野・下庄・乾側・小山・上庄・富田・阪谷・五箇・西谷・上穴馬・下穴馬の1町10村となりました。明治29(1896)年、下穴馬村から分立し石徹白(いとしろ)村が設立。下庄村は昭和26(1951)年11月に町制を施行。昭和29(1954)年7月1日に、2町6村が合併して大野市が誕生し、その後、昭和45(1970)年7月1日に西谷村を編入しています。
一方、旧和泉村は、昭和31(1956)年、上穴馬村と下穴馬村が合併して誕生。昭和33(1958)年に石徹白村の一部の地区を編入、平成17(2005)年11月7日に両市村が合併し、現在に至っています。
本市には、日本百名山のひとつ「荒島岳」などの山々があり、名水百選の「御清水」をはじめ多くの湧き水があることから国土庁の「水の郷百選」にも選ばれるなど豊かな自然に恵まれており、夜空がきれいなことから「星空の街」にも選定されています。また、市街地はその歴史的な風情や街並みから「北陸の小京都」ともいわれています。
位置
福井県の東部に位置し、北は石川県白山市と勝山市、東と南は岐阜県高山市・郡上市・関市・本巣市・揖斐川町、西は福井市と今立郡池田町に接しています。総面積は、872.30平方キロメートルで、福井県内最大です。市域の約87%を森林が占めています。
交通は国道157号が南北に、国道158号が東西に走り、東は東海北陸自動車道、西は北陸自動車道に連絡しています。JR越美北線(九頭竜線)が国道158号にほぼ平行して走り、福井駅でJR北陸本線と接続しています。
大野市民憲章
九頭竜川の上流にある大野は、清らかな水と空気に恵まれ、緑豊かな自然にはぐくまれてきました。
純朴さの中にも幕末の大野丸に象徴される進取の気象と、雪国特有のねばり強さとで、今日の繁栄を築いてきました。
私たちは、美しい自然と輝かしい伝統を受け継ぎ、住みよく生きがいのあるまちづくりを目指して、市民憲章を定めます。
1.みずみずしさあふれるまちに
- 私たちは、美しい自然を守り、豊かな郷土をつくります。
2.小さな芽が伸びるまちに
- 私たちは、伝統を受け継ぎ、新しい文化を育てます。
3.大きくはばたくまちに
- 私たちは、働くことに喜びを持ち、郷土の発展につとめます。
4.あたたかい心のかようまちに
- 私たちは、健康で幸せな家庭をつくり、親切の輪を広げます。
5.明るくやすらぎのあるまちに
- 私たちは、まちづくりに進んで参加し、住みよいまちを築きます。
大野市の花・木・鳥・魚
大野市の花・コブシ![]() |
大野市の木・ブナ![]() |
大野市の鳥・ウグイス![]() |
大野市の魚・イトヨ![]() |
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「越前おおの」キーワード
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大野市統計データ(抜粋)
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