原始(縄文・弥生・古墳)・古代(奈良・平安)・中世(鎌倉・室町)
年号 |
西暦 |
大野のあゆみ |
8,000年前から7,000年前 |
花房で縄文時代早期の生活が営まれる |
5,000年前から3,000年前 |
落合・佐開・据・右近次郎で縄文時代中期から後期の生活が営まれる |
3,000年前から2,000年前 |
佐開では縄文時代が晩期まで続いた |
3世紀から6世紀 |
赤根川流域に広大な水田が開け山麓には古墳が築造される |
8世紀前後 |
白山信仰が興り、飯降山、荒島岳にも山岳信仰が成立 |
9世紀から10世紀 |
越の国が越前・越中・越後3カ国に分かれる |
越前に大野・足羽・坂井・今立・丹生・敦賀の六郡が置かれる |
大野郡に大沼・大山・資母・加美・出水・毛屋などの郷ができる |
篠座神社など大野郡九社が『延喜式』巻10に登載される |
東大寺の役僧忠範が浮浪民を集めて赤根川流域を開墾し、東大寺領牛ヶ原荘園が設立 |
応徳3年 |
1086 |
牛ヶ原荘は醍醐寺円光院領になる |
保元2年 |
1157 |
経筒にこの年の銘を刻み、十一面の平安鏡と共に下黒谷の経塚に埋められる |
寛元元年 |
1243 |
道元が禅師峯で正法眼蔵「三界唯心」巻を説く |
弘長元年 |
1261 |
寂円禅師が銀杏峰の麓で座禅に入り、ほどなく宝慶寺が創建される |
正和3年 |
1314 |
宝慶寺2世義雲禅師、永平寺5世になる |
元弘3年 |
1333 |
鎌倉の御家人で牛ヶ原庄の地頭淡川時治が平泉寺の襲撃を受けて討死 |
延元3年 |
1338 |
堀口氏政、居山城(亥山城)を築いて新田義貞の軍に加わる |
斯波高経、越前守護となり、次子義種は大野に犬山城を築く |
応仁のころ |
1467から |
斯波氏の老将二宮将監は小山城にこもったが、朝倉軍に敗れる |
二宮将監、勝原城に移り、ここで討死 |
斯波氏は間もなく亡ぶ |
文明のころ |
1469から |
犬山城には一乗谷城主朝倉孝景の弟経景が入る |
16世紀半ばころ |
朝倉景鏡、犬山城より亥山城に移る |
天正元年 |
1573 |
朝倉義景、織田信長に敗れて大野に逃れ、景鏡にも裏切られ、賢松寺で自害 |
天正2年 |
1574 |
一向一揆が起こり、景鏡は平泉寺に逃れる |
一向一揆は平泉寺に火をかけ、景鏡も一揆に討たれる |