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2016年10月12日

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大野の歴史年表 (近世)

近世(安土・桃山・江戸)

年号 西暦   大野のあゆみ
天正3年 1575 織田信長、一向一揆討伐のため越前に乱入
金森長近(かなもりながちか)、織田信長より大野郡の3分の2を与えられる
長近(ながちか)、鍛冶座に特権を与える
天正4年 1576 長近(ながちか)、大野城の普請と城下町の建設を始める
天正14年 1586 長近(ながちか)飛騨国(ひだのくに)高山(たかやま)転封(てんぷう)
文禄元年 1592 織田秀雄(おだひでかつ)(信長の孫)、大野5万石の領主となる
慶長7年 1602 土屋正明(松平秀康の家臣(かしん))、大野城に入る
慶長12年 1607 正明、松平秀康に殉死、正明の子忠次(ただつぐ)(あと)を継ぐ
慶長14年 1609 殉死の禁にふれ、忠次(ただつぐ)徐封される
小栗美作、大野城に入る
寛永元年 1624 松平直政(秀康3男)、大野城に入り5万石を領す
松平直基(なおもと)(秀康6男)、勝山城に入り3万石を領す
松平直良(秀康7男)、木ノ本(このもと)1万石の領主となり、木ノ本(このもと)に陣屋を構える
寛永12年 1635 直政、松本7万石に転じ、松平直基(なおもと)、勝山より大野に入封
直良、木ノ本(このもと)より勝山に転じ、木ノ本(このもと)は廃藩となる
正保(しょうほう)元年 1644 直基、山形8万石に転じ、松平直良、勝山より大野に入封
延宝(えんぽう)6年 1678 直良が大野城に没し、子直明(なおあきら)が2代目を継ぐ
天和(てんな)2年 1682 直明(なおあきら)、明石6万石に転封(てんぷう)
土井利房、大野城4万石に入封、定書(さだめがき)五十六ヶ条を出す
この年、城主(じょうしゅ)の変動はようやく終り、藩政(はんせい)も確立
天和(てんな)3年 1683 利房、大野城に没し、利治(のちの利知)、2代藩主となる
元禄10年 1697 城下に十一ヶ条の諭告を出す
元禄12年 1699 領内に年貢減免の越訴(おっそ)が起こる
正徳(しょうとく)2年 1712 領内検地規定二六ヶ条を定める
享保17年 1732 初めて大庄屋を置く
寛延元年(かんえんがんねん) 1748 本願清水(ほんがんしょうず)の乱用を禁ずる
明和8年 1771 凶作、ききん起こる
安永(あんえい)2年 1773 専売制の会所を設ける
安永(あんえい)4年 1775 野口村から出火、城下(じょうか)1400戸を焼く大火となり、大野城(おおのじょう)にも飛火(とびひ)して天守閣など焼失
天明年間(てんめいねんかん) 1781から1788 このころ、連年のごとく不作・ききんがつづき、ついに天明7年(1787)、城下に暴動が起こる
 
 
寛政(かんせい)3年 1791 面谷銅山(おもだにどうざん)で新鉱脈を発見
文化4年 1807 塚原野(つかばらの)栗原野(くりはらの)で約50町歩(ちょうぶ)開田(かいでん)
文化7年 1810 初めて消防組を設ける
文政元年 1818 土井利忠、大野藩土井家第7代の藩主(はんしゅ)になる
文政6年 1823 しばしば火災を起こした野口村に屋敷替えを命じる
文政年間 1818から このころ、大野城下にたびたび大火が起こる
天保3年 1832 面谷銅山(おもだにどうざん)の経営を刷新
天保年間

1830から1843

餓死者が続出、新田野(しんでんの)に穴を掘って埋めたという

 
天保13年 1842 土井利忠、藩政改革(はんせいかいかく)を開始、多くの人材を登用
天保14年 1843 「学校創設の令」、藩校を創設、翌弘化元年(1844)、明倫館(めいりんかん)と称す
弘化2年 1845 洋医学を採用
高島流砲術(西洋砲術)を採用
下曽根金三郎(しもぞねきんざぶろう)に洋式大砲を鋳造させる
弘化3年 1846 新田野(しんでんの)で野戦砲の試討を行う
嘉永2年 1849 堺から職人を招き領内で鉄砲を鋳造
嘉永4年 1851 種痘の施術所(せじゅつしょ)を城下一番町で開設
嘉永6年 1853 佐久間象山(さくましょうざん)に学び、大砲を購入
安政元年(あんせいがんねん) 1854 小児(しょうに)に対して強制種痘を命じる
洋陣法により新田野(しんでんの)で大演習を行う
このころ藩内に蘭学熱が盛り上がった
「海上砲術全書」「海上砲具全図」を出版
安政2年 1855 大坂北久太郎町(おおさかきたきゅうたろうまち)に大野屋を開店、たばこなど大野の物産を販売
蝦夷地の開拓を決定し、幕府に伺書を出す
適塾の高弟(こうてい) 伊藤慎蔵を蘭学教授に招く
安政3年 1856 蝦夷地用懸(えぞちようがかり)を置き、蝦夷地の探検を実施
第二の藩校洋学館を開設
西川貫蔵の翻訳書「三兵用訣精論」が完成
蘭学修業のため全国各地から大野藩洋学館に入学するものが増えてくる
  

安政4年

1857 箱館に大野屋を開く
大野屋の総本店として大坂屋を城下に開店
済生館(病院)を一番町に開設
北蝦夷地屯田を決定、まず探検を実施
   

安政5年

1858 幕府、北蝦夷地屯田を許可
洋式帆船「大野丸」が竣工
   

安政6年

1859 西川貫蔵の翻訳書「坑卒袖珍」が完成
大野丸、敦賀を母港として初航海
北蝦夷地屯田兵、大野丸に乗り込み出発
大野丸、奥尻島で米国の難破船を救助
大野藩、北蝦夷の鵜城(うしょろ)を根拠地として越冬を始める
万延元年(まんえんがんねん) 1860 幕府、北蝦夷地の一部を大野藩の準領地として決定
文久(ぶんきゅう)2年 1862 藩主(はんしゅ)利忠が引退、利恒(としつね)が後を継ぐ
元治元年(げんじがんねん) 1864 内山隆佐(うちやまりゅうすけ)、没す
大野丸、根室沖で沈没
慶應2年 1866 上野国(こうずけのくに)から座繰機(ざぐりき)を買い入れ製糸業を振興
明治元年 1868 新政府の(めい)により箱館戦争に出兵
明治2年 1869 北蝦夷地を新政府に上地(じょうち)、人員を引き揚げる

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