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最終更新日:

2023年1月11日

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越美北線のご案内

越美北線のあゆみ

沿革

 1960年(昭和35年)12月15日、沿線住民や関係自治体待望の越美北線が、福井-大野-勝原間に開通しました。当日、市内各駅には多数の市民が駆けつけ、その開通を喜びました。この念願がかなうまでには、実に40年近い歳月を必要としました。
 一説によると、もともと越美北線は油坂峠を経由して中京方面と北陸方面を結ぶ路線として計画されたと言われています。1923年(大正12年)には、すでに敷設されていた越美南線との接続をめざして岐阜県北濃までの測量に着手しましたが、着工までにはいたりませんでした。1934年(昭和9年)には、関係自治体によって越美北線敷設促進期成同盟会が組織され、翌年には1億500万円余りの予算が計上されました。ところが、1937年(昭和12年)の日中戦争の勃発による資材と労力の不足から路床工事が完成した1938年(昭和13年)末に工事は中止されてしまい、太平洋戦争の激化によって工事の完成をみることができませんでした。

開通へ

 しかし、住民の全線開通への願いは強く、1950年(昭和25年)には小幡治和福井県知事を会長とする越美北線開通促進期成同盟会が発足しました。当時の県選出国会議員や県会議員が一丸となって運動を盛り上げ着工寸前までこぎつけましたが、衆議院の解散により頓挫しました。ようやく1956年(昭和31年)になって国鉄岐阜工事局によって工事が始められ、工費約18億円を要して、福井-大野-勝原間約45kmが完成したのです。福井方面への通勤通学者の足として、また貨物輸送による地域の産業を支える足として、大きな期待が寄せられました。
 1972年(昭和47年)12月15日には、勝原-九頭竜湖(旧和泉村朝日)間が開通し、越美南線との接続に期待がかかりましたが、巨額の赤字に悩む国鉄には、ローカル線を建設する余裕がありませんでした。そればかりか、巨額の赤字を抱えた国鉄は採算の取れないローカル線を廃線とする方針を打ち出しました。越美北線も昭和50年代半ばには廃線候補路線にあげられていましたが、冬期間の住民の足として欠かすことができないとの理由で廃線を免れました。

豪雨被害からの復旧

 1987年(昭和62年)4月1日に国鉄はJR各社に分割・民営化され、越美北線はJR西日本が経営する路線となりました。
 1995年(平成7年)9月からは「九頭竜線」の愛称で沿線住民だけでなく観光客にも親しまれていましたが、2004年(平成16年)7月18日、福井県嶺北地方を襲った集中豪雨により、足羽川に架かる7つの鉄橋のうち5つが流出、レールや路盤も各地で押し流されるという壊滅的な被害を受けました。被災直後は運転再開が危ぶまれましたが、県を先頭に地元自治体などの熱心な要望活動が続けられる中、県とJR西日本との間で復旧に関する基本合意が交わされ、2005年(平成17年)10月からいよいよ復旧工事が開始されました。
  被災後は越前東郷―美山間を代行バスによる輸送を続けていましたが、2007年(平成19年)6月30日、約3年ぶりに全線での運行が再開されました。列車には、この日を心待ちにしていた地元住民はもちろん、遠方からも大勢の乗客が乗り込み、祝賀イベントで出迎える沿線の各駅は喜びに沸きかえりました。
(大野のあゆみ改訂版より一部抜粋)

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