昭和41年から45年
昭和41年から45年
昭和41年
北陸電力の後野ダムが作られないことになったが、石徹白地区の三面、小谷堂の2集落23世帯は転出を希望し、水没しないにもかかわらず補償がなされました。昭和41年秋に離村しました。3月25日に撮影されました。
昭和40年代の六間通りの様子を寺町通り方面から撮影したものです。
昭和43年
昭和43年2月の下山スキー場での競技会の開会式の様子です。(和泉地区)
昭和43年の鷲スキー場の様子です。(和泉地区)
白馬洞オープンということで、白馬伝説にちなみ白馬を登場させ、関係者が白馬を囲み記念写真です。白馬洞は、全長120mと小さめだが、県内最大規模の鍾乳洞です。
昭和40年代の城まつりの様子です。同43年に復興された天守閣がライトアップされています。
第23回国民体育大会秋季大会を間近に控えた9月26日、九頭竜ダムを聖炎旗を掲げリレーするチームの様子です。
福井国体に行幸された折にお召し列車で来市された天皇、皇后両陛下が列車に乗る様子です。
第23回国民体育大会福井県実行委員会が発刊した国体記念誌「福井国体1968」から。連日満員の、大野市営相撲競技場の様子です。
ダム建設に伴い架けられた箱ヶ瀬橋で瀬戸大橋のモデルとなった橋梁です。九頭竜川下流から昭和43年10月頃に撮影したものです。昭和42年11月完成、工費1億5千万円。
国鉄バスでは、奥越秘境めぐりの定期観光バスを運行すようになりました。鍾乳洞や夢の架け橋など九頭竜湖周辺のAコース、鳩ヶ湯、九頭竜峡など五箇地区をめぐるBコースがありました。花束贈呈の様子です。
昭和45年
昭和40年10月から勝原から朝日の延長工事が始まり、同45年7月に荒島ずい道(5251M)が貫通しました。
九頭竜ダムが完成したことで、和泉村は一大観光地になり、昭和45年8月には遊覧船が就航するようになりました。50人乗り九頭竜号の様子です。