大野市消防団の沿革
大野市消防団の歴史
大野市における消防の歴史は、三代藩主 土井利寛公が度重なる大火を教訓に、文化7年(1810年)、消防組の結成を命じ、一組30名編成の4組を結成させたのが大野市消防団の起源とされています。
当時は火災周辺の建物を破壊して延焼を防ぐ「破壊消防」や手桶などを使用し消火に努める程度でした。
明治から昭和初期にかけて「消防組」に改組され活動を続ける中、「消防組規則」の制定により、全国的に消防組が設置されたのが、今日の消防団の前身となりました。
昭和に入り、国際情勢が緊迫化する中、戦時消防体制の強化により消防組は警防団として軍部の指導で防空監視や空襲爆撃下の救護活動の任務も担うこととなりました。
終戦後、警防団という戦時体制の消防は「消防団」として再出発することとなり、新たに「地方自治法」が施行されたのに伴い、消防は警察から分離独立し、自治体消防へと移行しました。
昭和29年の旧町村制から市政実現に向けた合併により、旧町村消防団も統合され、大野市消防団が誕生しました。
現在に至る大野市消防団の主な経緯は、以下のとおり
大野市消防団の動き
昭和29年7月1日
大野市制施行に伴い、旧町村消防団を統合し、団員879名をもって全市の火災防圧にあたる。また、昭和30年3月には消防団を解団し、4月1日付で消防団を再編し、団員数を480名に半減して各地に分団を配置した。
昭和31年9月30日
上穴馬村と下穴馬村が合併し和泉村の誕生により、2村が統合して和泉村消防団を組織し、団員300名となる。
昭和48年7月1日
大野市と和泉村の消防事務を共同で行う目的により、大野地区消防組合を設立する。これにより消防組織の改編を行い、大野消防団8ケ分団387名、和泉消防団発足により5ケ分団153名とした。
平成17年11月6、7日
和泉村を編入合併し、新大野市が誕生したことに伴い、消防団は大野・和泉消防団を統合し大野市消防団を結団し団員400名、1消防団・9ケ分団に編成する。
平成20年1月7日
音楽隊の伝統を復活し、地域防災力の向上をはじめ、消防の各種イベントでの参画を目的に隊長以下5名のラッパ隊を発足する。
平成20年4月1日
全国的な消防団員の減少と少子高齢化が進む地域社会の防災力強化を目的に、当市消防団初となる女性消防団員を採用し、15名を団本部付配置とした。
平成21年7月2日
消防団員の活動環境づくりの一環として、消防団協力事業所表示証を管内11事業所に対し交付する。
平成26年1月1日
消防団員確保対策の一環として、現員15名の女性消防団員を85名増員する目標を掲げ、定数を400名から485名に改正する。
平成26年6月1日
大野市消防団は、県内最大規模となる総勢100名の女性消防団員で構成する「結の故郷女性分団」を結成し、1消防団・10ヶ分団に編成する。
令和5年1月1日
管轄地域外で就労している消防団員が増えている中、初動体制の充実や消防団員の不足する時間帯に特定の災害に出場し、消防力の低下を補うため、機能別消防団員制度を導入する。
令和5年4月1日
第8分団を第6分団に編入、第9分団を2部に再編し、定員を基本団員450名、機能別消防団員35名の計485名、1消防団・9ヶ分団に編成する。