大野地区の名所・旧跡紹介(曙踏切)
曙踏切(錦町)
戦後、畑になっていた路床にレールが敷かれ、JR越美北線が開通したのは、昭和35年12月。長い間、待ち望んだ列車が大野に入ってきた喜びは大きかった。越前大野駅がまちの中心になり、水田だった越美北線の東側一帯に新しい町が出来て、市街地は一変した。それまで曙と呼ばれた新しい町は、錦町や中荒井町と名を変えた。
この曙踏切を通る細道は、七間通りが東へ抜けていなかったころ、町から東の水田地帯へ通じる重要な道だった。昭和30年代、踏切付近まで行くと、東側の田んぼでは、ホタルが飛び交い、カエルがやかましく鳴いていた。北側の五箇道沿いの家並みが西五箇橋(現富田大橋)まで一望できた。その道沿いには、農産加工場があって、時にはたくあんのにおいが漂った。
戦時中、空襲警報が出ると、町の人たちは、この道を通って水田地帯へ避難した。福井空襲では、焼夷弾で焼かれた福井の火災で、夜空が真っ赤に染まったのをこの踏切付近から見た。
白い壁の織物工場が、黒いシルエットになって浮かんだ光景は、いまも忘れられない。南西の角には、池があって貯木場になっていた。
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