ハンドルを回して、電話交換局にいる電話交換手を呼び出し、話したい相手の電話番号を伝え、電話をつないでもらいます。黒い受話器を耳に当て、ベルの下の送話器に向かって話します。
電話機は明治の初めに日本に輸入されましたが、当初は役所や警察などが仕事のために使うものであり、一般の人々は使うことができませんでした。
明治23(1890)年から、大都市を中心に一般の人々の利用が始まり、大野では明治44(1911)年に利用できるようになりました。
この時は通話ができる地域が限られており、大野からは勝山、松岡、福井、三国、鯖江、武生、森田、粟田部、芦原、金沢の10カ所の地域と通話ができました。
電話は人気を集め、利用希望者に対し、電話機の数が追いつかない状況がしばらく続きました。
大正10(1921)年の大野町では、新たな利用希望者450名に対し、電話機は16台しかなく、善導寺で抽選が行われたようです。
電話機が各家に置かれるようになったのは、昭和30年代後半から40年代にかけてのことです。
この頃には黒電話が主流になっていました。