再発見 - 悠久の時を経た越前大野城(第1話)
第1話 長近公の第一歩
写真は戌山城跡
金森
これまでの調査などで確認された城跡の数は15です。ほとんどが山城と呼ばれるもので、小高い山の尾根などに造られました。これらの城には石垣はなく、山の斜面を削ったり、盛ったりして造られています。戦がないときは、城のある山のふもとで暮らし、いざ戦が始まるとこれらの城に入り、敵の攻撃に備えました。
この中で、市指定文化財になっている「
戦国時代には朝倉氏の城となり、奥越地域の軍事的な拠点でした。登山口から山頂にある本丸へ登る間には、曲輪や堀切、切岸、土橋などの遺構がしっかりと残っています。朝倉氏の本拠地である一乗谷城跡にも残る畝状竪堀群という連続して竪堀を設ける遺構も残っています。
天正3年(1575年)、金森長近公は大野に入りました。そのとき、最初に入った城が戌山城と言われています。