再発見 - 悠久の時を経た越前大野城(第2話)
第2話 長近公の生い立ち
写真はお福池の様子
金森長近公は、大永4(1524)年に美濃(現在の岐阜県)で生まれたと言われています。
小さいころは、五郎八可近という名前でした。金森という苗字は、近江国の野洲郡金ヶ森(現在の滋賀県守山市金森町)に一時住んだことから、その地名を取って名乗るようになったと言われています。天文10(1541)年、18歳のときに尾張(現在の愛知県)の織田家に仕え、当時8歳であった織田信長の身のまわりの雑用をしたと伝えられています。
弘治元(1555)年、今川義元の軍との戦いに参加し、手柄をたてたことから、信長の「長」の一字をもらい「長近」と名乗るようになりました。
その後、朝倉氏を破った姉川の合戦や、武田氏を破った長篠の合戦など、織田信長に従っていくつもの戦に加わっています。
長近公の正室・お福は、斎藤道三の娘で信長の正室・濃姫の姉妹という話もありますが、明らかではありません。
長近公が大野へ初めて来たのは、天正3(1575)年、52歳のころです。当時、一向一揆に支配されていた越前を美濃側から攻め、大野郡を平定しました。長近公は、この軍功により、大野郡の3分の2を信長から与えられ、大野に入ることになりました。