再発見 - 悠久の時を経た越前大野城(第3話)
長近公の事業
写真は市指定文化財「金森長近書状」と、書状が保管されている専福寺
金森長近公が、大野を治めた期間は、天正3(1575)年から飛騨高山へ移る天正14(1586)年までの約11年間です。その間、大野を治めるため、越前大野城の築城や城下町の整備のほか、いろいろなことを行ったようです。
長近公は、寺院や土地の有力者などに、自分に従うことを要請する書状を出しました。これに従った人に対しては、その土地の所有を認める「安堵状」という文書を出しています。市内の寺院には、その時に出された文書が、今も大切に保管されています。
また長近公は、商工業の保護も行いました。天正3(1575)年に、かじ職人の団体である鍛冶座に出した文書も現在保管されています。その文書には、鍛冶座の特権を認め、営業を保護する内容が書かれています。ほかにも、大野郡内の鉱山開発にも関係したと言われています。
この間長近公のまわりでは、息子の長則が天正10(1582)年、本能寺の変で討死したり、天正11(1583)年の賤ヶ岳の合戦では、長近公が柴田勝家側につき敗北したりと、さまざまな出来事が起こりました。