再発見 - 悠久の時を経た越前大野城(第6話)
第6話 藩政や生活の舞台“御殿”
御殿見取絵図
本丸は亀山の山頂にあることから、藩主が生活するには不便でした。藩主は新年や参勤交代など、特別なときには本丸に出向きましたが、普段は麓にあった「二の丸御殿」で仕事や生活を行っていたようです。柳廼社が所蔵している「大野城御殿見取絵図」には、御殿の間取りなどが詳しく記載されており、行政的な仕事を行う「藩庁」と、藩主の私的な生活空間を結んだ「奥」があったとされています。
藩庁には、いくつもの部屋がありました。藩主が庄屋や町医師などと対面した60畳の白書院や、寺社と対面した30畳の黒書院、役人部屋や御用部屋、時計間、料理間などがありました。台所は121畳もあり、御殿の中で最も広い部屋でした。
藩主が生活した奥には、居間や湯殿、仏間などがありました。茶室と思われる数寄屋や茶の道具一式をそろえた「台子」が置かれていたと思われる台子間もありました。今のトイレに当たる雪せっちん隠には畳が敷かれていたようです。
公的な空間である藩庁と、藩主の私的な空間である奥とは、しっかりと区別されていました。出入りが制限されており、役人などにより厳重に監視されていました。