再発見 - 悠久の時を経た越前大野城(第12話)
第12話 天守再建を記念し城まつり開催
(写真は天主再建前の石垣)
越前大野城は、築城後、たびたび火災にあっています。
安永4(1775)年に起きた火事は被害が大きく、城下町のほぼ全域が焼失しました。越前大野城も被害を受け、亀山の山頂にあった本丸の建物までが焼失しています。平成14(2002)年の発掘調査では、このときに出た廃材を埋めた穴の跡が見つかり、焼けあとのある陶器も出土しています。本丸が再建されたのは、約20年後の寛政7(1795)年のこと。文政10(1827)年に再び火事が起こり、二ノ丸、三ノ丸の建物が焼失しています。
石垣もたびたび壊れ、修復されています。文化7(1810)年の修復の際に、工事を担当した役人と職人の名前が刻まれた石が見つかっており、現在、越前大野城内で展示されています。
長近公が築城して以来、守り続けられてきた越前大野城は、明治5(1873)年、新政府の太政官から出された「廃城令」という通達により取り壊しが決まり、競売にかけられました。これに先立ち、城内の見学が許され、多くの人が訪れたという記録が残っています。入札の結果、本丸は37両10文で落札され、解体されています。越前大野城の歴史は、築城から約290年で終わりを迎えました。
現在の天守閣は、明治維新100年に当たる昭和43(1968)年に旧士族の寄付により、往時を推定して再建されました。大野の夏を彩る一大行事「おおの城まつり」は、新しい城の完成を記念して、この年から開催されるようになりました。