再発見 - 悠久の時を経た越前大野城(第5話)
第5話 守備の要“堀”
百間堀
越前大野城は、江戸時代に内堀や外堀などいくつもの堀で守られていました。
亀山の周辺には、今もその名残をとどめるものがあります。学びの里「めいりん」の入り口にある「百間堀」は、外堀の一部でした。今では約30メートルしか残っていませんが、江戸時代には、新堀川近くから城町の下大手通りまでの間、450メートル以上ありました。幅は今は8メートルくらいになっていますが、当時は10メートル以上あったと考えられています。新堀川も、今よりも東側に延びて、外堀の役目も果たしていました。
内堀は、学びの里「めいりん」の北側にその一部が残っています。当時は、城を囲むようにありました。今は、幅約2メートルしか残っていませんが、江戸時代には10メートル以上もありました。
民俗資料館の東側にあるお馬屋池は、新堀川と内堀の間にあった堀の一部です。当時、この場所の南側に大野藩の馬場や厩などがあったことから、この名前が付けられています。
江戸時代の絵図を見てみると、新堀川以外の堀は、どこからも水を引き入れていなかったように見えます。湧水が豊富であったからこそできた堀ではないでしょうか。